今年の桜も見事でした。満開の桜は勿論美しく、和ませ、晴れやかな気持ちへと(いざな)ってくれましたが、散った薄紅色の花びらが、まるで、絨毯のように、歩道優しく覆っている表情、美しいと感じ入りました

一年に一度、半月あまり。咲く。そして散る。和みと同時に刹那を感じるのは、私だけでしょうか。

さて、ホームページを立ち上げさせて頂いた頃は、當寺にまつわるお話のみをさせて頂く所存でおりましたが、有難い事に色々な方々が、ネット上で當寺を紹介して頂いている事を、ホームページを立ち上げて後に知り得ました。

そこで私は、當寺のみにこだわらず、日々の暮らしの中で心に響いたこと、感じ入ったこと、想うことなどを、その折々、気の向くままにお話させて頂きたく思うようになりました。

桜に刹那を感じ、想う事。曹洞宗の経本、修澄義第五章に、「光陰は矢よりも速やかなり 身命は露より脆し」との教えが示されております。(道元禅師)

日々の営みを、一日一日を、一瞬一瞬を、切に生きて行くことが、本来の人の姿であると思うのです。実にシンプルな当然なことを、つい忘れがちになってしまいます。過ぎ去った過去には生きられません。未来の事を考えることも必要ではありますが、未来に生きているわけでもありません。今にしか生きることはできないのです。ならば、過去を思い悔いることなく、未来を思い悩むより、今を切に生きることが大事である・・桜を刹那に感じ、今を精一杯生きねばと、これまでにも増して強く深く思うのです。

誰をもがいつかは現世を離れます。不肖な私ではありますが、生を終えたのち、咲いて、散って尚、地を覆い癒し和ませてくれた桜のように、現世の方々の心にあたたかなものを少しでも残せるよう、果して一生懸命に生きているのだろうか・・と、自問する、うららかな春の午後です。

合掌 

2012年(平成24年) 4月吉日