光陰矢の如し。時の経つのは真に早いものです。

霜月も早や終わり。

この季節になりますと何かしら気ぜわしく感じられます。

さて、本日は、「言葉」について感じることを、お話させて頂きたく思います。

「言葉」には良くも悪しくも力があります。(言霊)言葉の力は絶大です。

心からのあたたかい言葉は、元気を与えてくれますし、傷ついた心をも癒す力もあります。

逆に、心を傷つけるナイフのような力もあります。

私はどちらかと言えば、口数の少ないほうです。

それでも、人様と向き合う時、ひとつ気をつけていることがあります。

言葉のナイフを人様に向けない、投げつけない、ということです。

ナイフを投げたつもりがまったくなくても、無意識に自身の話した言葉が、ナイフになってしまうかもしれません。

そこで、意識の範囲では、決して投げないよう気をつけております。

それは親しき中においても同様です。

職業的にも、特に気をつけねばならないと、常に自戒を込めて、日々生かさせて頂いております。

あまり気の合わない方、御縁の薄い方、考え方の違う方・・・すべての方に対して、この思いは同様です。

しかしながら、この季節、忙しかったり、気ぜわしかったり・・自身に余裕がなくなることもございます。

このようなときは普段の心がけを、つい忘れがちになりやすいです。

このような時こそ要注意、気をつけたいと思います。

人様を、自身をも、元気にできる言葉を、たくさん使いたく思います。

「良い言葉」で思い浮かぶのが、挨拶の言葉です。

おはよう・こんにちわ・こんばんわ・お疲れ様です・おめでとう・そして、ありがとう・・・

挨拶の語源は、禅宗の禅問答からきているそうです。

「挨」には押す・開く・押し進むなどの意味があり、「拶」には迫る・押しつける・はさむなどの意味があります。

禅宗ではこれらを並べて、門下の弟子僧の悟りの深さを試すための問答のことを「一挨一拶」と言います。

問答は、複数で押し合うという意味ですから、それを日常生活にあてはめて、安否や寒暖の言葉を取り交わすなどのお互いの儀礼を表すようになりました。

後に略されて「挨拶」となり、お辞儀や返礼のことも「挨拶」と言うようになりました。

人との関係や、御縁という意味でも使われます。

挨拶はもとより、良い言葉をたくさん使ってまいりたいと思います。

愚僧の他愛ない話におつき合い頂きましたこと、心より御礼申し上げます。

「ありがとうございます!」

合掌

2013年(平成25年) 11月吉日