満開の桜も葉桜になり。

「住職のお話」始めさせて頂きます。

愚僧は病の床に就き、境内を歩くこともやっとであり、開門も閉門も、副住職に任せて、

再びの入院を控えております。今は、家族と副住職に支えられて、日々を生かさせて貰っております。

消化の良いものしか受けつけず、日々、同じものでは飽きもするだろうと、家内は一生懸命工夫をして

それでも残さず全て頂くことが出来ずに、家内には感謝と申し訳なさでいっぱいであります。

家内は、弱音を吐かない強い人間。愚僧にとって、唯一の安らぎの存在であります。

生まれて初めて命にかかわるような大病になり、今までどれだけ家内をかえりみず、

好き勝手をしてきたか…申し訳なさと、後悔でいっぱいであります。

話は副住職の事に変わりますが、弟子ではありますが、養子縁組を頼みましたが

固辞をされました。よって、前野姓は、まもなく、鳳林寺より消えます。

前野姓にこだわったのには、愛娘のためであります。公にはしてこなかったですが、

愚僧の愛娘は、産まれた日に、医療ミスで、知的障がい者になりました。

愚僧と家内が亡くなれば、愛娘は、一人ぼっちになります。

前野姓が、當寺から無くなれば、寺を出て、グループホームに行くか、最悪、精神病院

に行くしかありません。自分勝手な思いでありますが、それは、親として

耐え難いことであります。副住職に養子になって欲しいと申したのは、

家族になり、愛娘を頼みたいと思った、只々、それだけの理由でありました。

しかし、それを受け入れてもらえず、無念に感じました。

それでも今は、それで良かったととすら思って思っております。

大病のお蔭で、副住職の真面目な優しい人柄が、これまでにも増して、

よく分かりました。養子にならずとも、彼はきっと、愚僧の愛娘を、

生涯どこへもやらず、家族のように面倒を見てくれるであろうと確信しております。

そのように確信できたのは、この度の病気のお蔭であります。

愚僧は、この度の病とは戦いません。共存していこうと思います。

共存することが出来ず、命尽きても、副住職が、住職となれば、家内も愛娘も、

勿論、當寺も盤石であります。家内・愛娘も心穏やかに、生を全うできるであろうと

思えるからであります。

そして、當寺には、素晴らしい檀家様が、沢山あらせられます。

由緒ある當寺の三十世となり、檀信徒様、御先祖様、両親、家内、愛娘、

そして、副住職・・・皆々様に出逢えて、愚僧は、幸せな人間であります。

どうか皆々様。コロナ禍の今でありますが、めげずに、コロナとの戦に

必ず勝利することを信じて、御家族と支え合い、明るい未来、安全な未来を

信じて、日々をお過ごし頂きますように、切に願います!

家内が、夕食を運んでくれる頃であります。今日こそ、残さず頂けそうな気が致します。

そして、知的障がいの愛娘から教えられることが少なからずあり、幸せな愚僧であります。

本日の「住職のお話」これまでとさせて頂きます。

                          合掌

令和三年(2021年) 四月 佳き日